一次情報に関する考察

私の考えでは、自分の五感で認識した情報が一次情報で
言語とか、書籍とか、操作をしないと得られないものが二次ではないかと思う。
従って映画や、TVは一次情報であって、会話や文章こそが二次情報だと思う

映っているものを信じないで何を信じろというのか良く判らない。
不可知論に陥るだけである。

ディスプレイとブラウザによって色が違うのを、本当の色はこうなんだと言っても
何の意味も持たない。

人は映像を見るとき、既に先入観にどっぷり遣った状態でみている。
従ってそこに映っているものを正確に見ようとはしない
実は、現実の世界でも簡単に目は頭脳と組んで、虚偽の画像を作り上げてしまう

とすれば、感動や、刺激を求めて画像を見ればそのように画像を見てしまい
作られた虚像を脳内に反映させることは目に見えている。

従って、物を見るという行為は、そこに自己が投影されていることを否定できない
ことになる。

画像の質や、音声の質、出演者の美醜など、その中ではわずかな位置でしかない
むしろ質の悪さが逆に効果的だったりする。

また他の画像の見方は、数的な事実の経過を追う見方である
ゲームや競技であれば、点やタイムは編集では直せないと思っているので
(それも先入観だが)
その経過に、画像がついてくるというものである

これは、見ていようと見ていまいと、時間の経過とともに、結果が出てしまう
その数字が事実と異なると言うことは先ず無い事を知っている

見ても見なくても事実は変わらないのだが見てしまうのは、実際に見る
場所があるからである。(たいがいチケット代金とられるし、遠かったりする)

選挙速報などもそのジャンルに属する。

私は時間の無駄だと思うが、決して嫌いではない。

付け加えれば

印象操作なる単語も、操作されるのが悪いのであって、操作されたからと叫んでも
それは自己責任と言うしかないのだが、何故だか悪いことのように言われている

皆お化粧して印象操作をしているくせに、それは問わない
(私は化粧ごときに引っ掛かりはしないが)
by sato_eri | 2006-04-12 18:00 | ネットジャーナリズム